まだ誰もやっていないこと、世の中にないものを開発し、人に喜んでもらいたい。 日本の高度経済成長期から今日まで、時代の先を読み、金属表面処理、合成化学、食品基材の手がける企業の少ないニッチな分野にテーマを絞り込み、独創的な技術や製品を次々と開発してきた、大和化成グループの創業者・奥濱良明についてご紹介します。
奥濱語録
Daiwa kasei Philosophy-
素材を創美する。
創業時に、大和化成グループの社会的使命とは何かを記した言葉です。 自然界には様々な素材で溢れているが、それらはありのままの姿では人間の暮らしに役立ちにくい。 金属であれば瞬く間に錆びてしまうし、食品ならばひと味足らず、見栄えがしないなど。 そんな素材を造り替えるのではなく、素材そのものに輝きを与え、質を一層高めて価値を輝かせたい。 言うなれば素材の錬金術師として、あらゆる素材を“創美”する。この使命を担うのが大和化成である。 この言葉は企業理念として受け継がれています。
-
失敗を恐れず、新しい可能性に挑戦せよ。
「失敗を後悔しても仕方がない。うまくいかなければ次のことを考える」。 奥濱が社員にことあるごとに語る言葉です。 失敗は教訓であり、失敗から得たノウハウこそが新しい価値を生み出すきっかけにつながるのです。 失敗を重ね、あらゆる技術、化学品を動員し挑戦を続けた末に、世界初のノンシアン銀めっき液を開発した大和化成研究所の研究員。 失敗を恐れずにチャレンジする人材を歓迎します。
-
あればきっと喜んでくれる人がいる、
私たちはそういう製品を開発している。奥濱のものづくりの原点です。 市場を見つめ、時代の先の先を読み、将来きっと必要になる。 あれば必ず喜んでくれる人がいる。 そういう製品や技術を開発してきました。 例えば、気化性防錆剤もノンシアン銀めっき液も、現場で作業する人々が切実に必要としているものでした。
-
もう一歩、踏み込め!
この短いスローガンには、「現状に留まることなく、さらに、もう一歩先へ、もう一歩踏み込めば、新たな道が発見できる」と創立50周年の年次大会で語った奥濱の言葉です。 人間はえてして失敗を恐れ、未体験の領域に踏み込むことを躊躇しがちです。 困難な状況に遭遇しても、その先に進めば、自分でも驚くような成果を生み出すことができるのです。
-
若い人には、早く成功体験を与えたい。
どんな小さいことでも成功体験を持つ人と持たない人は違います。 成功体験した人は自信にあふれ、言葉に重みがあり、行動力がある。 成功体験を得る時期は早ければ、早いほどいいと考え、若い社員たちに様々な挑戦の機会を提供し、支援もしています。
-
先見性は企業遺伝子。
半世紀を超える歴史を振り返ると、大和化成グループは常に時代の半歩先、1歩先を歩んできました。 創業時にめっき薬品や防錆剤に取り組んだのも、将来必ずエレクトロニクスや環境問題の時代がやってくると読んだからです。 次に求められるものは何か、常にアンテナを張り、あらゆることに関心を持つ。 未曾有に発信されている情報の中に新しい成長分野のタネがある。 時代の潮流を捉えるDNAは、社員たちに受け継がれています。
-
仕事は楽しくなければいけない。
仕事をやり遂げるためにはエネルギーが必要です。 そのエネルギーは、自分自身を励まし、燃え上がらせることで起こってきます。 自分が燃える一番よい方法は、仕事を好きになることです。 どんな仕事でもやり遂げれば、達成感と自信が生まれ、次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。 そうなれば、さらに仕事が好きになり、楽しくなるのです。
-
化学品は毒にも薬にもなる。
例えば、銀一つとってみても毒性があり人間の害となります。 しかし、一方では、殺菌性が高く人間の役に立ちます。 科学の進歩によって人の暮らしを豊かになりました。 しかし公害や自然破壊、温暖化など様々な負の遺産も生み出しました。 科学を志す者は、毒なることを理解する良心と社会に役立てる情熱を携えて科学の仕事に打ち込んでいけばいいのです。 科学はまさに物質の基礎。 人類のために役立つように、また役立たせないといけないと思っています。
-
エンジニアである前に
ビジネスマンであれ。ビジネスはお客様がいないと成り立ちません。 私たちのビジネスは、お客様が困っていることを解決して、十二分に満足していただくことです。 その成果によって適切な利益をいただき、利益を投資して次のビジネスへとつなげていく、それがビジネスの王道です。 技術者もビジネスマンの一員で大切なことはお客様をよく知ることです。
-
イノベーションは探究心と信念から。
奥濱は起業のかたわら、電気めっき液の研究に没頭し、3年以上の年月をかけての生産化に成功しました。 イノベーターとは好奇心の塊、探求心の赴くままに研究に邁進し、誰も成し得なかったことを完成させる。 そのためには、何としても成功させたいという強い信念を抱くことに尽きます。
創業者・奥濱良明について
大和化成グループが創業した1960年代は、自動車や鉄鋼産業、電子工業の勃興期でした。 奥濱は、当時非常に高価であった気化性防錆剤に着目。 最初に鋼板などを包むために開発した気化性防錆紙は、適用の容易さと経済性から産業界に普及しました。 また、カラーテレビの時代を先取りし、すぐにダメになるチャンネルの切り替え部分の改良に取り組み、電子機器の回線結合のキーとなるめっき浴の開発に着手。 1975年にスズ・はんだ電気めっき用液を自社開発。猛毒であるシアンを使わない「ノンシアン銀めっき液」も20年以上の歳月をかけて開発しました。 研究者であり企業家であった奥濱のモノづくりの基本は、「困っていることを見つける先見の明」と「失敗を恐れずチャレンジする」こと。 その精神はこれからも受け継がれていきます。
1935年
大阪北の繁華街・曽根崎新地で旅館の10人兄弟の三男坊として誕生。
1951年
16歳で単身上京し一橋高校(現・都立一橋高校)に入学。
1954年
工学院大学理工学部に入学し、有機化学の勉学に打ち込む。
1958年
卒業後、合成香料を開発販売する「奥濱商店」を立ち上げ。2年後に清算し、化学品専門商社に就職。大阪出張所所長として帰阪した後に退社。
1963年
神戸で食品加工品や工業用薬品を扱う商事会社「大和化成株式会社」を創立。
1965年
商品を動かすだけの商売に限界を感じ、有機化学の研究に意欲が甦る。「気化性防錆剤」に着目し製造法を研究。同時にスズめっき、はんだめっき液を研究。
1967年
「株式会社大和化成研究所」を設立。気化性防錆剤の製造開始。
1970年
スズ・はんだ電気めっき液の製造を開始。
1989年
世界初、不可能と言われていた「ノンシアン銀めっき液」を開発。
1992年
タッチパネル用バンプスズめっき薬剤を開発し商標登録。
1996年
鉛フリーのはんだめっき液を開発し特許取得。
2004年
岩手県工業センターと共同で高分子DNAの抽出技術を確立。
2009年
亜硝酸フリーの気化性防錆剤を開発。
2021年
5月26日、享年86歳で逝去。